RESULT タイム 3時間54分37秒
◆ランナーズアップデート速報
3時間54分37秒(ランナーズアップデート速報)
定員20500人中(実際の出走者数は不明)、254位。
◆ゴール後振り返って計測器の写真をとったグロスタイム
3時間54分59秒
◆マイウォッチ(ガーミン)
3時間53分59秒 走行距離42.33km
ペース 5.32/km
カロリー 1691Kcal
平均心拍 160bpm
最大心拍 201bpm
TE 5.0(※)
ピッチ 194spm(※2)
ステップ(歩数)67959 ※往路、二宮駅から30分近く歩きました!
※ TEとは、運動強度を0~5.0で評価するトレーニング効果指数。
TE指数と効果一覧
※2 ピッチとは、1分間あたりの総ステップ数。
エリートランナーは180-185spmとか。
数値が小さい方が、ゆったりストライド大きく走っているということに。
RESULT 内容 「二度と走りたくない」苦しい走り
「二度と走りたくないっ」
今年は、そんな苦しい走りになった。
昨年に引き続き、『サブ3.5』(タイム3時間30分を切る)を目標にしてきたが、今年もなかなか走る時間が確保できず、早々に『サブ3.5』の目標は、修正。
本命は、昨年の3時間46分を切る3時間45分。
が、10月から11月の走り込みで右半身に違和感が出始め、当日の好コンディションを優先し、早々に走り込みから、カラダのコンディションの調整に入った。
うまく走れれば5分20秒/km。5分30秒/kmなら30kmまでアンパイだろう。
昨年は、30kmまで5分30秒イーブンで走って余力があったので、30kmからペースをあげて失敗。最後はひん死のサマでゴール。
右半身を痛める可能性も大きいから、今年は焦らず、最後まで5分30秒/kmイーブンを狙おう。
そんな仕上がりで臨んだ今年のレース。
目標が『サブ3.5』だったものだから、目標タイム順にA~Gのブロックに分かれてスタートするのだが、ワタシはBブロックであった。
「サブ3」ランナーの本格的なアップや、先導車、白バイのスタンバイを間近に見れたり、ドクターランナー(医師免許を持って走るランナーの方々)がみんなイケメンであることを確認できたり、場違いながら、なかなか味わえない雰囲気を楽しめた。
が。これが、今回のレースの『不幸』の要因となったのである。
※昨年は、トイレ待ちで出遅れ、結果どこのブロックから走ったのだかわからないのだが、結果、それがよかったのだね…(><)
『サブ3.5』は、5分/kmを切って走るタイムだから、みな、早い。
加えて、スタートダッシュがすごいのだ…。
巻き込まれてはいけない。
そう思ってペースを抑えたのだが、結果、10kmくらいまで5分10秒/km以内で走り続けてしまった。
明らかに今のワタシには、オーバーペース。
12kmの時点で、「まだ12km??」
大失敗。
その後のレースの長かったこと、長かったこと…。
20kmまでは5分20秒/kmで。
30kmまでは5分30秒/kmで。
その後は5分40秒から50秒/km。ガーミンが6分00秒/kmを示したら、がんばってペースをあげる。
そんなこんなで、最初の貯蓄分でもって今回の結果となった。
結果的にペースは5分32秒/km平均だが、イーブンとは大違いだ。
何度も、何度も、走るのをやめたいと思った。
10kmちょいで、調子がよいときの30km走よりも疲れているのだ。
最悪。
あと30kmもあるのか、あと3時間も走るのか…。
「休むのはゴールしてからでいい」そんな、前を走るランナーのTシャツの格言? に励まされ。
「一歩一歩刻んで!」そんな沿道の応援の声に励まされ。
「とにかく腕を触れ。腕を振れば、脚が出る。歩幅とリズムがキープできれば、体感ほどタイムはおちない。完走できればいい、最悪はペースを意図的に落とそう。とにかく、歩くのはやめよう。最後まで走り続けるのを目標にしよう」。
20kmで第1折り返し地点となる。
すると、反対車線の後続のランナーとすれ違いながら走るカタチになる。
しばらく走っていると、各関門で制限時間を過ぎてしまったランナーをピックアップする「収容車」(バス)が見えた。
よほど、よほど、よほど、乗せてもらおうかと思ったのだが。
職場で「収容車」に乗ったことがある男性が、言っていた。「収容車」に乗ったら、ゴールに着くのは最後の最後。延々、バスに乗っていないといけないんだよぉ。
9時スタート、制限時間は6時間だから、15時過ぎになってしまうではないか。
走りきった方が早い。
とにかく、35kmまで何も考えずに走ろう。
35kmになったら、ゴールが見えるというものだ。
涼しい顔して走らなくたっていい。苦しさ全開で走ったっていい。
そう、自らを励まし続け、32km地点(さらっと書いたが、実際の体感はここまで、ほんとーーーに長かった)。
「あと1時間だよー、がんばれーーー!」
沿道の応援に、「あと1時間?! 1時間きったよ、と言ってーーー、1時間も走れないよぉ、涙」と思いながら、「もう二度とマラソンなんて走らないーーー、涙」と思いながら、35km。
完走は見えてきたが、長い。長い。長すぎる…
途中で歩く、リタイヤする、ドクターランナーに付き添われているヒトを見て、「私の脚は動いているではないか。カラダに痛みはでていない。走れるだけ、ありがたいと思わなければ」。そう、言い聞かせる。
Bブロック出走の悲劇は、最初にペースを上げてしまうことだけではない。
マラソンはどこのブロックから走ろうが、自分の実力のペースのみが勝負どころである。
ひたすら、追い抜かれていくのだ。
いつもなら、底上げで追い抜いて行くのに。
ココロもカラダも憔悴し、スタート地点に戻ってきた。
フィニッシュ地点である「大磯プリンスホテル」が見える。音楽が聞こえてきた。気持ち、テンションがあがる。
しかし、しかし、しかし。ここが第7関門、約37.1km。
フィニッシュ地点を横目に見ながら、さらに2.5km走り、折り返して2.595km走って、フィニッシュなのだ。
これは、どういう修行なのだろう???
ここで、じゃっかん「いいこと」(?)があった。
昨年は、もうこの地点では「コントロール不能」で脚を動かし続けるのがやっとであった。
しかし、今年は。しんどくなってから25km、辛抱して走り続けてきた。
「そのまま、そのまま、焦らず、ペースを落とさず、走り続けよう」。
周囲が「コントロール不能」の状態になり、失速が目立ってきた。
私は、落ちていない。むしろ、10秒/kmあがっている。
結果、少しづつ、周囲を抜き始めることができた。
別に順位を争っているわけでも、ヒトより勝とうと思っているわけでもまったくない。
周囲の走りは、自分の仕上がり、チカラの参考になるのだ。最後の「脚の持ち」は、それなりの仕上がりになっていたのかな、とか。
40kmを超えた。
そこからも、じゃっかんペースを上げることができた。5分40秒/kmが、5分30-40秒/kmくらいね、笑。
とにかく、早くゴールしたい。
タイムコンシャスな理由ではなくて、とにかく終わらせたいっ!!
これができたのは、今年の「下半身強化の筋トレ」と、「ビルドアップ」(後半ペースを上げ、最後はダッシュを入れる)の練習が多かった効果だと思う。
っていうか、ここでまだ脚が動くのだったら、『根性』があればもっと途中もがんばれた??
最後の最後、フィニッシュの大磯プリンスホテルに入る入口は、そこそこの傾斜があるちょっとした上り坂。
私は普段、坂をよく走っている。上り坂はどんとこいだ。ダッシュ。
ここでけっこう、順位をあげた、笑。
ああ、ゴーーーーール。
ボランティアの方々の笑顔がまぶしい。
「また来年も来てくださいね」「毎年、来てくださいね」
会場全体が、そういうメッセージを送ってくれるホスピタリティだ。
「申し訳ないけど、もう二度と来ないかも」
そう思いながら、帰路につくワタシ。
昨年に続き、なんやかんや欲を出したがための、失敗ランであった。
サブ4死守。
今回の結果は、そういうことに、しておこう。
RESULT カラダ 懸念の「違和感」の悪化なし
レース後1日経った、本日現在。
脚を使った、それなりの筋肉痛なりはあるが、懸念していた右半身(※)を含め、股関節等も違和感まったくなし。
※右足の着地の衝撃が腹筋ではなく、背中側にずれているため、走り込みむと「背中側の張り」、あるいは「右股関節のずれるような違和感」、「脚が右お尻側に倒れこみ、お尻にでる張り感」。フルマラソン後、これが痛みになって残るかな、と懸念していた。
ただし『左足親指つけ根』が、やや捻挫のようにじゃっかんの痛みと腫れあり。
今年は、足指を使ったんだね、笑。
スピードコンシャスなシューズに変え、足指のトラブルに取り組んだ1年デシタ。
今年は一緒にいく予定だった夫が、仕事の忙しさが半端なく、まったく走れていないために、棄権。
よって夫と息子は、息子のバスケ練習のためにジムへ。
レース後は、ジムで落ち合うことになっていた。
ワタシは通常、電車でいっさい座らないが、昨日ばかりは立っていようが座ろうが、ガン寝。意識がなかった。
こうして蘇り、ジムではまず水着に着替えてプールへ。
汗が乾いて着いた「塩」をシャワーで流し、まずはプール内で歩く。
水圧がよいマッサージになる。
なかなか前へ進まず、歩くのが上手なオジサマ方のじゃまになってきたため、泳ぐレーンへ。
ゆっくりとクロール、平泳ぎ、背泳ぎ。
なんと気持ちがよいことか。こちらもまた、水圧がよいマッサージになる。
30分ほど泳ぎ、スパへ。
着替えも含め1時間弱、ジェットバスで脚etcのマッサージをしたり、水ぶろでクーリングダウンしたり。
その後ジムエリアへ行き、ストレッチや筋膜リリースなど。
いつも思うのだが、クールダウンって本当に気持ちいい。
自転車でキツイ坂を上った後の下り坂のような、ご褒美感。
その後は、息子のリクエスト「焼肉」へ。
強度の高い運動後だから、飲みすぎ食べ過ぎには注意して、笑。
※本来であれば、フルマラソン後の「焼肉」は、ちょっとヘビー。消化のよいもの、アルコールもほんの少しか控えるのが「正」デス。
管理栄養士のワタシですが、今年は1週間前から「カーボローディング」しようとアルコールを控え夕食に炭水化物を摂るようにしたところ、異常にお腹が張ったので、早々に「赤ワイン+つまみ」に戻し、アルコールを完全に抜いたのは前日1日だけ。
パフォーマンスにおいては改善の余地ありですが。
日常生活のバランスを考えると、ナーバスにならず、これくらいでちょうどいいかな。
ガチンコ『サブ3.5』狙えるあたりになったら、ガチやりますっ、笑。
ランを再開すると、気づかなかったカラダの違和感が残っていたりするので予断なく、メンテナンスに留意したい。
補足。
出走A・Bエリアのランナーたちのテーピングは、半端なかった。
ぐるぐる巻きのヒトも。
つまり、結果を求めて練習するランナーたちは、ケガをもろともしないのだね。
それでも、走るのだね。
ワタシの『サブ3.5』の壁は、そこか??
ワタシは生涯スポーツがゴールなので、かなりカラダのメンテナンスには気をつけているのだが、「根性無し」という気がしなくもない昨日の光景であった。
みなさん、タフな強者ばかり!
来年に向けて 来年も走ります!
昨日は、本当に「もうマラソンは走りたくない」と思っていたが。
一夜明けると、苦しかった記憶が相当薄れている。
忘却力は、才能だ。
しかも録画していた「福岡マラソン」を見て、またやる気が出てきちゃったりして、笑。
まだ数少ない経験だが、30kmランまできっちり仕上げておくと、マラソンは怖くない。目標ペースを30kmまで無理なく走れる仕上がりだ。
そして、さらに後半もしっかり走ろうと思うと、やはり走りこむ走量はそれなりに必要そうだ。
「福岡マラソン」で14年ぶりに日本人優勝を果たした服部勇馬選手が、35km以降の失速対策に40km走の練習を倍に増やした、と言っていた。
スピード持久力の「脚」は、筋トレやインターバルで培えるものではなさそうだ。
さて、私はこの2年。『サブ3.5』という「目標ありき」でやってきた。
計画をたてた。
オフシーズン「筋トレ」、走り込み開始「距離を踏む」、本格的な走り込み「距離+スピード」、調整、と。
しかし、走り込みの時期に忙しくなったり、気候が合わなかったり。
会社勤めの子育て主婦は、自分の計画にライフスタイルを合せることが難しいなー。というのが、この2年間の実感だ。
無理に合わせようとすると、仕事や家族に対して、思い通りにならないイライラが募ってしまう。家事が重荷になってくる。
たかだか、ワタシ自身の趣味のことだからねぇ。
焦らなくてもあと5年もすれば、息子は手離れ、夫はさらに忙しく(祈)、寂しいくらいに時間ができるはず。
ということで、来年からは「走るのが日常」という心構えで。
その総決算が、年末の「湘南マラソン」。
身の丈レベルで無理はせず、でも「サブ4」キープを目標に。
シーズン問わず、週1の帰宅ラン(オフィスからアップダウンが多い20kmの距離を走って帰る)、ジムでスピードラン、月1は30kmラン。
積み上げで早く走れるようになれば、それでよし。
今回、Bブロックからの出走でさんざん周囲に抜かれがっかりしたが、逆にあれだけ多くのヒトたちがサブ3.5以上で走っているのである。
けっこうなオジサン、オバサン、ぽっちゃりさんなど、見た目「へぇぇぇぇーーー」というヒトたちが速かった。
それなりにやれば、ワタシも達成できるかも??
前向きなワタシは、そんな感じでカラダもココロも蘇ったのである。
2018年もあと少し。
いろいろ〆て、来年の目標を夢見よう♪